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私の履歴書

中国就職に興味はあるけど、具体的なイメージがつかめない。将来のキャリアがどうなるのか不安だ。生活で困ることはないだろうか。みなさんはそんな疑問や悩みを抱えていませんか? “私の履歴書 inChina” では、そんなあなたに今まさに中国で働いている人々の“生の声”をお届けします! このコラムに登場する様々な人々のリアルな中国物語を通してぜひ“中国で働く将来の自分”を見出してください。

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2015/05/07

深セン 弁護士事務所勤務 加山さん

加山さんは、2014年8月から、中国のパートナーシップ式渉外法律事務所で秘書として働いていらっしゃいます。新卒の状態から中国での就職を決意された加山さん。本日は、加山さんの深センでのお仕事や中国での生活についてもお伺いしたいと思います。

「20万円がほしくて」

- そもそも中国に興味を持ったきっかけは? -

次のステップとして、一番楽しそうで身近だったのが、中国だったからです。
私は元々、専門学校の航空関係の学科に所属していて、中国とは全く関係のない専攻でした。その専門学校には、「卒業時までにTOEIC800点以上取ると20万円がもらえる」という制度があり、私はどうしても20万円をGETしたくて、そのために英語の勉強をがんばりました(笑)。卒業ギリギリで目標を達成し、20万円を手にして、英語についてはそこですっかり満足してしまったことと、当時第一希望だった就職先に入社できなかったことが重なり、それならば!と大学に編入することにしました。国際コミュニケーション学科に入ったのですが、そこの教授がよくアジアの経済や文化の話をしていて、特に中国の話がとても面白く、刺激を受けました。同じ東アジアの国なのに、文化も歴史も民族も全然違うし、その頃読んでいた本にも、中国を初めとするアジアで力強く生きている人々の現実が書いてあり、自然と惹かれていっていたと思います。元々海外留学したい思いがあったので、大学4年のときに中国への留学を決意。私がいた学科から中国に留学する人は初めてでしたし、中国語も全くできない状態でしたが、「楽しそうだったから」行きました。

「普通の未来? < 失敗も財産!」

-なぜ、中国で就職したのですか?-

中国での就職を希望したのは、留学を決めたときと同じで、「楽しそうだったから」です。大学4年の年に上海に留学。その後、河南省洛陽市に移りました。思った以上に生活が楽しく、留学期間を予定より延ばしたほどです。その間、仲良くしていたフランス系トーゴ人の同級生が洛陽市で貿易会社を立ち上げたので、事務所によく遊びに行っていたんです。中国で独立し、中国人のパートナーとビジネスしている友人を見ているうちに、自然と「中国で働く」という選択肢をぼんやりと考えるようになっていきました。
しかし、大学を卒業するために一旦日本に戻る必要がありました。留学時代から親交があった友人が中国にいたこともあり、「中国で働きたい」という漠然とした想いは日に日に強くなっていきました。しかし一方で、
就職活動に忙しい周囲を見て、日本で働くべきか迷ったりもしました。それが普通ですよね。でも、日本で就職したら、普通に仕事をして、普通に結婚をして・・・という『普通の未来』が見えてしまった気がしたんです。『普通の未来』も十分楽しめるとは思ったし、その中でも様々なことがあるというのも分かっていましたが、なぜかそっちに行きたいとは思わなかった。中国での就職を希望したのは、留学を決めたときと同じで、「楽しそうだったから」。このときもそれだけだったと思います。
もちろん不安も大きかったのですが、ある本に書いてあった言葉が私の背中を押してくれました。
「20代のうちは、何に失敗しても全てが人生の財産になる。その後にいくらでも挽回できる。だから怖がらずに、やりたいことをやった方がいい。」

「日本人は一人だけ。でも素敵な仲間と一緒。」

-就職の経緯は?-

卒業前に、就活のために一度深センに来て、たまたま参加した食事会でご一緒したのが、今の上司です。たまたまのご縁でした。何の経験もない私でしたが、私の将来性を買ってくれた上司には本当に感謝しています。

-職場の環境はどんな感じでしょう?-

事務所は、福田区の大きなオフィスビルの中にあり、弁護士とスタッフ、合わせて約200名が在籍しています。深セン事務所初の外国人採用で、日本人は私だけです。私の所属する日系企業担当のチームは、日本での留学経験のある方や日本の文化を理解されている方も多く、仕事面でも生活面でも困ったときには、守ってくれる上司や先輩たちに囲まれ、恵まれた環境にいることを実感しています。ただ、お昼ご飯は必然的に中華料理が多いので、そこは時々しんどいです(笑)
総じて、今はとても働きやすい職場です。日系企業であっても中国の企業であっても、一番重要なのは、一緒に働くメンバーだと思いますから、本当にラッキーだったと思います。

 

-今は実際、どんな仕事をしているのでしょうか?-

法律文書の翻訳及び日本語チェック、クライアントの方々とのやり取り、請求書の作成など、日系企業における事務手続き全般の窓口を担当しています。その他、会議や商談の書記や弊所事務所の弁護士がセミナーを開催するときのサポートなどに携わったり、現地の日本人の方々との人脈作りと称して、飲み会やスポーツイベント等にも積極的に参加しています。

-中国の企業で、不安はありませんでしたか?-

そもそも就職したことがなかったので、あまり不安はありませんでした。新卒なので就労ビザが取れるかどうかが一番心配でしたが、ここなら何とかしてくれるという安心感もありました。初めのうちは仕事のイメージが掴めませんでしたが、「なんとかなる」という変な自信だけはありました。

「伸びしろしかない」

-中国で働いて得られたものは何かありますか?-

私は日本での社会人経験がないので、日本で働くのとどこが違うのか比較するのは難しいですが、法律の問題はどの国のどの業界の会社にも発生し得ることですから、仕事柄さまざまな方々とお会いする機会があり、貴重な経験をしていると思います。また、他人に決められたレールの上を進むより、将来どうなりたいかを自分で作っていけるワクワク感は、日本では得難いものなのではないでしょうか。それを「不安」と捉えるか、「可能性」と捉えるかは、人それぞれだと思います。

-お仕事で心がけている事はありますか?-

採用が決まったとき、上司は私を「真っ白な紙」だと表現し、そこに何を描くかは自分次第であると言われました。できないことや知らないことがたくさんあって歯がゆい思いをすることも多々ありますが、「私には伸びしろがあるんだ、むしろ伸びしろしかないんだ」ということを前向きに考えるようにしています。社会人経験がないことを承知で採用してもらったので、今できないことは仕方がないと割り切り、自分は何を期待され、何を求められているのかを常に模索しています。

「日本人らしさを失わないこと」

-中国での生活で何か大変なことはありますか?-

日本人らしさを失わないことです。
こちらにいると、伝統的な日本人女性像(優しくて礼儀正しく、控えめで家庭的)を求められることが多いので、自分がどういう風に生きていったらいいのか、まだ模索中です。
日本人らしさを失わずに中国の生活に馴染むのはなかなか難しいです。こちらでは、バスに乗るときや病院での診察待ちのときなど、所謂「いい子」にしていては、自分の順番はいつまで経っても回ってきませんから(笑)。

-現地雇用のお給料で、生活は問題ありませんか?-

全然大丈夫です。深センは中国の中では物価が高い地域ですが、私のお給料の半分は日本で借りていた奨学金の返済に回し、残りの半分で、週末に香港でお買い物したり、深センで趣味のスポーツをしたり、友達とカフェに行ったり、お昼に同僚と飲茶を食べに行ったり、仕事終わりに中国式のマッサージに行ったりしています。今は奨学金の返済を最優先に考えていますが、完済したら、自分への投資に使いたいなぁと考えています。20代のうちは貯金するよりも、自分への投資に使って、将来もっと稼げるようになりたいし、人としてもっと成長したいです。

-今後のプランについて教えてください-

老後は日本に帰ろうかな(笑)それまではここで頑張りたいと、今は思っています。
自分次第で日本で働くよりもお給料を稼ぐことも全然できますし、生活に十分な給与をもらいながら、きっちり18:00に退社できる環境というのは、日本では実現し難いと思います。

プライベートもこちらにベースがあるので、しばらくはここでチャレンジを続けたい。将来どうなりたいのかはイメージするようにしていますが、決めつけ過ぎたり、守りに入りすぎると自分を小さくしてしまうだけなので、能力や見識を高めつつ、何にでも柔軟に対応できる自分でいたいと思っています。